「私の若い頃はね」
私が新人だった20数年前、先輩看護師の口癖は「私の若い頃はね・・」だった。
指導してくれた朝子さんの口癖もそうだった。
朝子さんからは、朝の挨拶から始まり終業時の声かけまで逐一指導された。今のように新人の教育システムも整っておらず、朝子さんは輪番で新人指導係になったと聞いた。
「朝来たら、早く来ている先輩と夜勤明けの看護師さんには明るく挨拶するのよ。私の若い頃はね、日勤なら新人が一番に来るのが普通だったの。いや、それをしなさいって言ってるわけじゃないのよ。私の若い頃の話。」
朝子さんは想像するに40代前半だった。化粧っ気もなく、天然パーマの伸びた髪を無造作にひとつに結んでいた。髪を結ぶのもシュシュやバレッタは使わず黒ゴムだけで、時々パンツの白ゴムの時もあった。
朝子さんは箸の上げ下ろしを教える姑のように、病院すべての事を教えてくれた。「売店で一番売れている菓子パンは何時に売り切れるのか」から「最先端(当時)の医療の看護」まで。
新人の私にとって朝子さんは神のような存在だった。
部長クラスの医者に話す時は声をワントーン上げなければならない、研修医には地声より低い声でいい。これも朝子さんから学んだ事だ、勿論実践していない。
新人は入職して数ヶ月したら夜勤に入る。勿論初めての夜勤は朝子さんと、更にベテランの看護師2人、計4人だった。当然初めての夜勤入りの私が使い物になるはずもなく、主に配膳下膳とオムツ交換、ナースコール対応だった。
私は夜勤前まったく眠れなかったのに、夜勤中目はギラギラしていた。仮眠時間になっても眠れず、ナースステーションで参考書を読んで過ごした。
「MIKOちゃん、今の若い子は恵まれてるわよ。私の若い頃はね、夜勤で食事時間になったら“お先にどうぞ”って言うのが常識だったの。今は先に行かせてくれるでしょ。」
それから朝子さんは昔話を延々と話してくれた。
おばあちゃんから寝る前に昔話を聞かされる子供のように、私は睡魔に襲われた。
朝子さんの話をほとんど覚えていなかった。適当に相槌を打てた自分もすごいと思う。
ただ唯一覚えていたのは
「私、いくつだと思う?33歳よ、えっ、おどろくの?いくつに見えるの?」
「28歳くらいだと思っていました。」
社会で生きていくコツをつかんだ夜勤だった。 MIKO
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